大学で学ぶということ

岩熊哲夫

2009年某月吉日

高校との違い

高校までは,既にわかっていることを学ぶ,というよりも覚える。 大学以降に利用できる道具を頭の中に組み込むことが目的の 教育である。 もちろん,すべての人間がすべてを理解できるはずがない。 だから,目標は高くしておいて,最低限その目標の50%, 60%を 会得することが義務教育の目的ではなかったか。 その最低限にも達成できない,いわゆる「落ちこぼれ」は昔から いたはずだが,そこは丁寧な指導で卒業はできていたと予想する。 ところが,落ちこぼれを落ちこぼれとしてしか扱えない 低級な教諭が増えたことや,親のしつけが行き届かず社会生活が できない子供が増えたこと等から問題が発生して, 「ゆとり」といった言葉が出てきたのではないだろうか。 実は大学においても,落第ギリギリの人間をうまく卒業させてきたように 感じる。第1著者はかつて, そういった学生に対して厳しい対応を要求したことがあったが, 先輩教官から丁寧な説明を受けて,そういった「うまく卒業させ」ることも 容認できるようになった。 学生本人が大人でありさえすれば,いろいろな対処の仕方はある。

さて,高校までの教育の特徴を挙げてみよう。

となるのではないだろうか。
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これに対し,大学・大学院における教育の特徴は次のようになると思う。 学んで情報を身に付けるのは君たち自身であるから, 教員が教えた通りに,教えた言葉で身に付ける必要は全くない。 自分がいつでも使える情報にしたいならば,自分の言葉に翻訳し直す 必要がある。 面白い例を書いておこう。 例えば大学入試の物理学の力学の問題を理学部と工学部の 先生に解いてもらおう。 ある先生は「多分,こういうプロセスを使えば解ける」と述べて筆は動かない。 ある先生は,30分以上時間をかけて(受験生は20分くらいで解く)「微分 方程式を使ってもいいなら,これが答」と出してくる。 一方受験生の答案の採点現場では,答は合っている答案に書いてある 解き方を理解するまでに,数人の先生が30分以上も悩むこともある。 つまり,高校までの教育と大学における教育・研究とにおいて, 頭(道具)の使い方にはほぼ全く共通点は無いと考えないといけない。 以前は,親が大学のこういった教育体制や,大学生は大人として 扱われることが,しつけとして家庭で教育されていたが, 昨今はそうではないらしく,大学での勉強に対する考え方が間違っている上に, 子供じみた権利だけを主張する学生が増えてしまっている。

講義内容の変遷と難度

さて,時代の変遷と大学教育の難度の増加について, わかり易い模式図を元工学部長の四ッ柳先生が描いてくださったが, それをかなり簡略化して,かつ少し誇張して書いたのが次の図である。

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学部における専門科目の講義内容そのものも昔に比べて 増えたこともあるが,3年生の夏学期までの勉強がとても重要で,かつ 辛くなってきている。 それに伴い,昔のいわゆる教養教育が縮小され,また エリート・大先輩が学部で習った専門科目の中にはもはや大学院でも 開講されていない部分も生じている。 これが望ましい形とは思えないが,必要なことを最小限教授するという 観点からの設定になってしまっているのが現実だ。

考えるということ

教員が教えた通りに身に付ける必要はないと書いた。 それは,問題に対峙したときにすぐに取り出せる「活かせる知」に しておくためには,自分の言葉に翻訳して身に付ける必要があるからだ。 では,その使える知を活かして考えて問題を解決するということは どういうことだろう。 京谷孝史教授が卒業式の祝辞で使う論語の言葉1は 次のような意味と捉えてもいい。 「学んで身に付けても考え【ず|ることができず】に 使【わ|え】ないなら意味が無い。 考えるだけで学ぼうとしなければ何も解決できない。」 考える・知識を使うとはどういう行為だろう。 英語に`serendipity' という単語がある。研究社の辞典には, 「求めずして思わぬ幸運にめぐりあう天性」 「偶然見つけ出す不思議な能力」とあるが,そうじゃない。

無駄が多いかもしれないが,それ無しには絶対に現れない機会, 現れるとも限らない機会のことである。Pasteurの言葉に `Chance favors the prepared mind.' というのもある。 普段から身の回りの現象に関心を持ってそれを自分の知識で 解釈する努力を続けておくことが望ましいし,一旦 問題を抱えてしまったら,頭の中の道具を駆使して延々と試行錯誤を 続ける必要があるということである。 卒業論文の課題解決あたりから始まって仕事をしている間は, この「考え続ける」という行為が必要になるのだ。 また教員との関係でいい言葉「師を見るな、師が見ているものを見よ」を 文献[1]に見つけたが,出典は不明。

企業は君に何を求めているか

朝日新聞(2006/3/20)の特集「大学」から適当(いい加減という意味)に 引用しておこう。 企業は即戦力は期待していない。 「すぐに役立つ(だけの)人はすぐに役立たなくなる人である。」は 戦前の東大教授の谷村豊太郎先生の言葉だそうだ。 それよりも,大学での知識を自分の言葉に翻訳したデータベースとして持ち, それを用いていろいろ想像(simulation)して新しい提案ができる能力が 期待されている。 記事では,企業が求めるものについて経団連教育問題委員会の宇佐美聡企画部会長 (三菱電機常任顧問)は

志と心:
倫理観と責任感。 規範の中で使命感を持って取り組む姿勢。
行動力:
実行力とコミュニケーション能力。 情報収集とその利用によって目標を達成する。
知力:
基礎学力+(結果的に)独創性。 深く考え抜く力。「使える知」。
だと述べている。加えて
  1. 相手の意見を聞いた上で自分の意思を伝える力。
  2. 自分の言葉で自分の考えを伝えられる人材。
も重要だ。さらに,次のようなこと2が読み取れる。

大学入学以降にやり続けること

  1. 自分の言葉に翻訳して勉強しデータベース化する。 復習して基礎をしっかり身に付ける。折に触れて勉強をする。 学んだことを友人に教えてみてごらん・・・
  2. 勉強を効率化しない。たいていは自己満足の手抜き。 これができるのは秀才だけ。
  3. 友人をたくさん作る。視野を拡げる。 いろいろな価値観が存在することを知る。本を読む。
  4. 大人と会話をする。社会の常識を身に付ける。
  5. 自分の考えを持つ。自分の頭を使う。使える知識にする。
  6. 約束を守ること。決まり(暗黙のも含む)を守ること。

Bibliography

1
内田樹:
寝ながら学べる構造主義,
文春新書, 文藝春秋, p.44, 2002.

2
南伸坊:
ボーッとしている,
今を生きる--わたしの見方・考え方,PHP, No.708, pp.46-51, 2007.



Iwakuma Tetsuo
Fri, 31 May 2013 08:46:23 +0900 : Stardate [-28]8629.95