応用力学教育に対する新しい教育法

応用力学連合パネルデイスカッション

開催報告

もくじ

平成9年1月29日13:00−15:30より日本学術会議において開催され た第46回応用力学連合会において、土木学会応用力学委員会内に設置されてい る応用力学に関する教育小委員会が主催したパネルデイスカッションが開催され た.

パネリストと題目

白鳥 正樹:
横浜国立大学工学部生産工学科<計算力学教育を考える>
辻 知章:
静岡大学工学部機械工学科<マルチメデイアと ネットワ−クを使った遠隔講義の試み>
角 洋一・川村 恭己:
横浜国立大学工学部建設学科<マルチ メディアを用いた材料力学・船体構造教育について>
中村 光:
山梨大学工学部土木環境工学科<コンクリートカ ヌ−の試作と競争会>
酒井 信介:
東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻
以下に、講演者の内容を含めた文章 gifを再録する.

応用力学教育に対する新しい教育法---パネルデイスカッション---

Panel Discussion on New Methods in the Education of Applied Mechanics

飛田 善雄(東北学院大学) Yoshio TOBITA, Tohoku-Gakuin University, 1-13-1 Chuo Tagajyo, Miyagi

連絡先 FAX:022-386-7070 E-mail: tobita@tjcc.tohoku-gakuin.ac.jp

There have been a lot of fundamental problems in the higher education system in Japan as are briefly summarized in this paper. In particular, the education system of science and technology has received much attention in recent years. The panel discussion on the problems in the education of applied mechanics, being a interdepartmental problem among the science and technology, was planned in the steering committee. In the panel discussion restricting the discussion to the new methods in the applied mechanics education, five excellent panelists will talk about their trials and experiences which are briefly introduced in this paper.

理工学教育の現状

日本の大学教育の不十分さは、かねてより指摘されてきたことであるが、それが 真剣に検討され・認識されたのは、18才人口が数年後に激減する時期であった ように思われる.大学特に私立大学の経営危機が問題となり、徒にPRに走るの ではなく、教育を充実させ学生に付加価値を与えて卒業させることが、生き残り 戦略の最も基本とすべきことが指摘された(例えば、文献1).最近では、大学 教育の重要性と同時に不十分性がマスコミでも取り上げられ、多くの人がその基 本的欠陥に気づき始めている(文献2).さらに、工業立国であるはずの日本で、 理工系離れが進み、大きな社会問題として取り上げられている(例えば、文献 3).創造性を伸ばす教育を目指すという当初の目標が達成される前に、基本的 な知識の欠如、高校までの教育と大学教育に大きなギャップをもたらしている現 実が報告されている.大学院での貧困な教育・研究環境は、指摘されて久しいが、 大学院をもつ大学の数だけは増えても、研究環境と教育内容は、なかなか改良さ れない現実もある.このように大きな問題を抱えている理工学教育であるが、こ の現状を改善するためには、多くの要因について分析を公平に進めることが不可 欠であり、そう簡単には最善の方法を導きだすことはできない.以下では、教育 に携わる者としての立場に限定し、理工学教育の問題点を指摘したい.

教育者としての理工学教育の問題点

著者の専門は力学であり、教育問題の専門家ではない.理工学全般に亘って公平 に問題点を指摘することは、著者には難しいことである.また、直接的な対象は 大学(特に私大)教育と限定したい.このような限定された条件での(著者の偏 見に満ちた)問題点の指摘であるが、多くの学科あるいは工専などでも共通の問 題点は見いだすことができ、共感を覚えていただけるのではなかろうか.

  1. 教えるべき内容が、技術の急速な進歩と共に、多岐に 亘り、応用力学・数学などの基礎科目の比重が相対的に減少している.
  2. 高校までの理数教育の比重が小さくなりかつ多様化しているために、 大学が前提条件とできる理数系知識のレベルは明らかに下がっており、 従来の体系からすれば補習的内容を大学カリキュラムに取り入れる 必要性がある.
  3. 必修科目の単位数が、卒業単位124単位に占める比率が少なくなる ことが推奨されているが、このことがある一面では、大事な科目より 取りやすい科目という科目選択につながり、十分な基礎知識を修得する ことなく卒業に至ることが可能となっている. 理工系学部にとっては選択科目の増大は、ある意味では無責任教育に つながりかねない.
  4. 教育条件の悪化が存在する.例えば、実験・実習を担当する技能 職員の数は、国公立、私立を問わず減少する傾向にあり、このことは学生から直 接的な感覚で現象を理解するという機会を減少させることにつながっている.私 大においては、経営上の問題から専任教員数の削減が大きな問題となっており、 このことが、若手教員の採用枠減少ともからんで、教育環境の悪化をもたらす可 能性は大である.
  5. 教育手法やその開発に対する努力に対して正当な評価がなされにくい. 昇進等には、研究業績のみが表向きには評価され、教育上の貢献 度は付帯条件となることはあっても、昇進の表の理由にはなっていない.学生の 授業評価が導入されているが、この評価がよいことが何を意味するのか?真剣に は問われていない.授業概要(シラバス)が各大学で用意されるようになったが、 その効果となると疑問も多く存在する(シラバス通りの講義はめったにない、学 生は一切利用していないなど).
  6. 悪しき慣習の一つであるが、大学では教科目の間に不可侵条約が 暗黙のうちに成立している.このことは、学生にとって、教授法が未熟で あるために、全く興味のもてない講義内容であっても、一定の学生は 登録しなければならないこととも関連している.言い換えると、大学では、 講義における競争の原理は全く存在せず、ともすれば(講義に対する準備をほと んどしないという意味での)最小仕事の原理に基づく講義に至ることになる. 昔からよく言われている「30年間変更していないノ−トあるいは著書に 基づく講義」という陳腐な方法での講義が継続することになる. 上記の問題は恐らく全ての分野で共通するものであろう.さらに、 多くの工学分野で応用力学はその分野の基礎的な学問となっているので あるが、著者の専門とする分野である土木工学では以下のような問題点が 指摘できる
  7. 個々の専門科目が、対象とする構造物の設計手法を念頭においた、 独特の力学を教えている.学生は下手をすると、構造力学、材料力学、 水理学で教える応力は共通なものではなく、同じ名前をもつ違った量と 捉えかねない.この欠点をなくすために、まず応用力学(多分に初 歩的な内容であるが)を教えてから、個々の専門科目に至るという発想にはなか なか結び付かないようである.その理由は2つあろう
    1. 従来の古典的な学問体系を崩したくない、あるいは教授法を 変更したくないというネガテイブな理由
    2. 個々の専門科目を共通の基礎から教えるには、時間がかかり 過ぎるあるいは学部レベルでは、体系付けて教えることはほぼ不可能で あり、一般的原理からみると、既にかなり簡単な設定での問題のみ (例えば、はりや柱)を取り扱わねばならないという理由

応用力学教育における新しい教育法

以上、理工学教育における問題点を列挙したが、これらの問題点全てを対象にし て議論を始めたら、何らの有効な議論にならないうちに終了の時間が来てしまう ことは明らかである.また、教育問題というものほど、その意見が多岐・多様な ものはない.使われる用語も一定の意味を持つわけではなく、徒に時間を浪費す る議論に陥りかねない.そこで今回は、「応用力学教育に対する新しい教育法」 というテ−マに限定してパネルデイスカッションを計画した.上記の問題点から みると、今回は(4), (5), (6)に関連した教育問題のうち、前向きな部分のみを議 論することになる.ある意味では、個々の教員の努力によっては、ここまででき ますよ−というデモンストレ−ションとも考えることができる.もちろん、講師 の先生方は受けをねらって、新しい教育方法に取り組んだわけではない(単に、 受けを狙うという姑息な考え方では、全く耐えきれないほどの努力があって始め て、成功するというしろものである)、できる限り応用力学あるいは自分の担当 する科目が学生にとって魅力あるものであり、学習意欲をかき立てようという目 的で開発・改良に取り組んだ成果の公表である.以下に、講演の概要を簡単に紹 介する.

マルチメデイアの応用力学教育への応用

講演5編のうち2編は、その可能性が全ての分野で注目されている、マルチメデ イアあるいはインタ−ネットの教育への利用である.できる限り平易にかつ実例 を示してもらうことで理解しやすくなるように工夫していただいた.これらのメ デイアによる教育方法の発展は、現在の教育体系そのもの(例えばT大を頂点と する大学の階級制度(?!)など)をも変えうるだけのポテンシャルをもってい るように感じられる.今後どのように(発展するのは間違いないことであるが、 その方向と規模はいまだ分からないのが現状であろうか)発達するのか、誰にと っても興味深い話である.日米の比較、初等教育における取組なども含めた基礎 的なお話しを静岡大学の辻知章先生にお願いし、具体的な例を横浜国大の角 洋 一先生に、必要機器を先生ご自身の持ち込みで、お願いしている.

計算力学

2編は、数値計算力学という共通キ−ワ−ドを持っている.東京大学大学院の酒 井信介先生には、インタ−ネットを利用した数値計算教育に関連したアンケ−ト についてお話しいただく.横浜国大の白鳥正樹先生には、古典力学と数値計算力 学、その比較検討を長年の経験に基づいてお話しいただく、また実験の重要性に ついても言及していただく.数値解析の代表的研究者の一人である先生が、ある 意味では全く反対の位置にある(と考えられがちであるが、もちろんお互いに補 完的関係となっている)実験の重要性をどのようにお話しになるのか興味深い.

学生の自主性を伸ばすための教育

前にも述べたように、学生が実験・実習を通して直観力を養うという機会は少な くなってきている.もちろん、このことが決して望ましい方向でないとこは、だ れしも感じていることであるが、実際には、実験実習等に十分な準備と時間を掛 けられなくなってきている.「実感を伴わない工学教育」の弊害は著しい.この ために、様々な形でこの欠点を補うべく、工夫がなされている.その一つの例を 山梨大学の中村光先生にお話しいただく.学生のコンクリ−トによるボ−ト製作 の競技会の開催である.最近の学生の顕著な傾向の一つとして、企画立案そして 実行が極めて不得手になってきていることが上げられる.このような企画を行う 際にも、先生がたの指導が細部に亘ってなされないと、成功にこぎ付けるのはか なり難しいものとなる.いきおい、教員の負担は大きくなってくる.学生の評価、 先生の苦労話も交えて講演していただく.

パネルデイスカッション討議の報告

上記に記載した内容で、5人のパネリストより発表があり、個々に質問・意見を 受けた後、全体討議になった.狭い会場に30人程の聴衆があり、また講演者の 細部に亘って準備された講演スタイルと内容は特筆すべきものがあった.システ ムに関する質問の他に、力学の基本的概念を計算力学では養えないなどの意見も 飛び出し、活発な討議となった.教育に関する問題は、多くの人が意見・疑問を もちながらも、問題が多岐にわたるために、会としての成功が難しいのであるが、 今回はテ−マを絞り込んだこともあって、有意義な会合となったように思われる.

あとがき --- 変化する日本の大学教育

先日、知り合いの米国の先生の奥様にお願いして、「生きた英会話」ということ で学生と話をしてもらった.彼女が最も印象に残ったのは「1つの講義に、どの 程度予習・復習をしているか」という彼女の質問に対しての学生の答え「平均す ると、15分」 ``Oh, my God'' というのが彼女の正直な感想であった.おそらくご く一部の大学を除けば平均的な学生の実態であろうと思われる.日本の大学の機 能は、「入学試験における選抜機能だけで、何を教えるかは大学には期待してい ない」と言われ続けてきた.社会が大学教育に付加価値を期待しないのであれば、 大学人の教育に対する努力は、多分に正当な評価を受けられなかった.しかし、 状況は大きく変わり、受験生が大学を選抜しうる時代になってきている.大学に とっては、教育をしっかりとやり、学生に付加価値を与えて卒業させることが必 須な要件となってきている.既に、受験産業では、偏差値のみならず、教育内容 とスタッフのレベルも大学の評価規準となるように、受験生への情報提供を始め ている.制度の不備、教育環境の貧困さ、社会システムのモビリテイの欠如など、 大学教育を取り巻く環境は極めて複雑であり、教員の努力のみで解決できること はおそらく多くはないであろう.しかし、教育というものは、最前線で教えてい る教員が教育に対する意欲を失えば、どのような良い制度があっても、お金があ っても、実を結ばないのも事実である.このパネルデイスカッションがよりよき 応用力学教育の出発点になり、多くの教育機関で新たな試みがなされるようにな り、さらに突っ込んだ議論を行う機会をもつことができるようになればと期待し ている.

参考文献

  1. 喜多村和之(1990):大学淘汰の時代、中公新書
  2. 産経新聞社社会部編(1996):大学を問う−荒廃する現場からの報告、 新潮文庫
  3. 産経新聞社会部編(1996):理工教育を問う−テクノ立国が危う い、新潮社
...以下に、講演者の内容を含めた文章
本文 においては、パネリストの講演内容も簡単に紹介するということで、その内容を 引用している.しかし、本文の責任は全て飛田に属している.


Tetsuo Iwakuma
Sat May 2 09:10:47 JST 1998; Stardate [-30]1090.0