構造工学委員会 力学教育研究に関する小委員会
社会の構造変化に伴い豊かさやゆとりが要求される昨今,土木工学の分野でも それに対応したソフト的職種や研究に魅力を感じる学生が増えてきました. このような状況の中で,社会基盤整備には不可欠なハード的研究・教育に 対して, 現在の社会構造や学生気質の変化に対応できるように,何等かの変革が望ま れています. このような背景に基づき,力学教育の中でも特に焦点を絞り, 『今後の「構造力学教育」の在り方』というテーマで研究討論会 を開催いたしました.
土木工学の本来の意義をふまえ,土木技術者を大学で育てるに当たって の「構造力学」の目的を検討すると,まず第一に重要なこととして, 「つり合いの世界」と 「変形の世界」とを理解し,その間の関係をも理解することが 挙げられます. さらに『構造の力学』を例にして「力学の構造」を理解することにより, 問題の解法だけでなく,問題への数理的な対処法も身に 付けることができます.これは学生の数学嫌いという傾向が強まる 現状において「構造力学」が担うべき役割でもあります. このような特徴は他の科目にはありません.
ところが現状では,「力のつり合い」に偏り過ぎた解法技術の伝授やその ための「エネルギー原理の信仰」が重要視され過ぎていないでしょうか. 確かに問題が解けなければ就職もできませんし,現場で使い物にならない かもしれません.しかし,それだけが力学教育の目的でしょうか.また, 眼に見える構造物を対象としているために,実感に基づく理解が強調されて いますが,現状では逆にエネルギーのような概念を訳が分からないまま 信じている,あるいは必要が無い所でも使っているようなことはないで しょうか.体感による理解の中に,結論から仮定を証明するような本末 転倒が組み込まれてしまっていないとも限りません.
構造技術者を育成するための科目としてだけではなく,工学的問題への科学 的対処法を簡明に理解する手段として「構造力学」を位置付け,原理や理論 あるいは解法を「数学的に正しく」教えることが必要です.数学と直感とが 合致することを示さずに後者のみに頼る, あるいは数学や物理学を積極的に避けるのは, 本当の力学教育にはならないと考えます.また解法の伝授に偏り過ぎた 教育は,本来の土木技術者の養成に本質的であるとも思われません.
しかし学生が理解できない講義があってはなりません.確かに大学ごとの 事情やカリキュラムの制約があるのは事実ですが, 本当に,上で述べたような教育方法はごく一部の大学でしか可能では ないのでしょうか.
基礎原理の理解のためにも,時間が許せば, 学生自身が手を動かして多くの問題を 実際に解くことがある程度は必要です.しかし, 入社試験に必要であることを理由として解法の記憶を主と考えるのは 本末転倒と言わざるを得ません. 実務能力とよく言われますが, 基礎原理そのものに関して試験することが 困難なため,入社試験等が解法の記憶の確認になって しまっており,それを実務能力と呼んでいるだけではないでしょうか. 使う数学のレベルには現実的には大学間で差異はあるでしょうが,積極的に 避けるのは理解の妨げにしかなりません.
やはり力学の教育で大切なことはその「からくり」の理解だということは 誰も否定しないでしょう. それは現象の 体感という意味ももちろんありますが,現実問題への取り組み方の道具を 学ぶ点においても 非常に重要で,これまであまり重要視されていなかった役割だと 考えます.その理解に用いる道具のひとつは数学です.確かに物理的な 現象や意味をふまえない数学の使用は,学生にとって障害あるいは拒否 反応につながりますが,実際に構造力学における「力学の構造」を理解 するためにはそれ程高級な数学は必要ないはずです.
さらに力学教育の将来を展望した時,流体の分野や土質・コンクリート等の 材料力学分野と共通する基本概念・理論・ 数理を教育する場としての「力学」,職能訓練一辺倒からの 脱皮という力学の近代化だけではなく土木工学全体の近代化を図るための 「構造力学」,といった位置付けが今後検討されるべきだと考えます.また そうなった場合,コンピュータへの対応も不可欠になってきます.
解法の体得という職能訓練が実際に必要か否かの疑問もいくつか出され ましたが,これからの「構造力学教育」の守備範囲は問題解決手法の伝授 だけではなく,「科学」的アプローチの典型教育でもあると考えられます. 問題を解く練習をすることが原理を理解する助けになるのは否定でき ませんが,「engineer として役立つ = 解法の会得」の図式は多少 短絡的過ぎで, 自らが新しい問題に対処する方法を理解できなければ力学教育は成功とは 言えないと考えられます.
副題の「どう教えるか」という問題点については,教室での教え方も含めて 多くの意見が寄せられました.話題提供で示された「数学を積極的に用いる 方法」が「法則を教えて演繹的に教える方法」と誤解されたため,無機的な 力学教育への批判が数多く出されました. もちろん,話題提供にあったようないわゆる スマートな方法がそのようなものだとすれば, 提案された力学教育は教える側は 楽だが学生が現象を把握できない恐れがあり,ややもすると 教養課程での 数学や物理学の二の舞で理解不能になる可能性があります.
学問の成り立ちは先に法則があったわけではない以上,帰納と演繹の相互 作用が歴史的にはあったはずとの意見はもっともです. 法則はモデルに依存し,モデルは現実から構築するものです. 構造力学の法則はその最も美しい典型です. 現在多用されている「エネルギー原理による解法」の方が,実は, それらしい結果が感覚的にしか理解していないエネルギーという概念に 関する法則から魔法のように出てくるという意味で, 悪しき教育内容のひとつなのかもしれません.
またその歴史に沿って教えるのが最も解りやすく,その理解を加速する 道具として数学とコンピュータを用いるのがいい方法だとの指摘も ありました. ある結論に至った経緯は,方法や動機の理解に非常に役立ちます. しかし論文等で不特定多数を対象として説得力のある説明をする ためには,必ずしもその結論に至ったままの順番がベストとは 言えないのも事実です. 「構造力学」のような体系化されてしまった学問の伝達に,歴史を教える ことは理解を速めることはあったにせよ,それが一番理解し易い方法とは 限らないのではないでしょうか.
同じような意味で,大学での構造実験の問題も指摘されました.多くの 大学では各種事情から止むを得ず実験が削除されたり,実験が講義との 相互関係が無いまま実施されている現実があり,これは早急に改善すべきで あるという意見です.理論やモデル無しでの「実験」が全く意味が 無いのと同様に,現象の理解と 検証とが無い「理論」も理解を妨げる原因になるのは当然でしょう. 時間的制約から実験をカリキュラムに加えるまで行かなくとも,少なくとも 理論のモデル化の根拠になるような現象を教室で見せることは必要です. そうした上でモデル化の数理を教える必要があるでしょう. これについては,討論会資料に載せた「梁の境界値問題の定式化」に ついての一例を参考にしてください. さらに応用の場の紹介も必須との意見も出され,調和の取れた内容が 望まれます.
カリキュラム検討の場で必ずと言っていいほど取沙汰されることに, 教養課程での数学教育の問題があります.何に応用されるのか 分からない数学には工学部の学生は興味を持てないというものです. では逆に,大学での数学を用いず高校の数学レベルだけに基づき,問題の 解法に重点を置いた構造力学が,大学での正しい力学教育と言えるで しょうか.科学の発達に帰納と演繹とが交錯していたように,応用と 数学とはもっと接触を持つべきものではないでしょうか.
これに対しては,数学の多用が現状の学生レベルから判断して無理だ, との意見があります.研究ではともかく講義で数学は使えないし, 教養課程での数学への拒否反応から数学の使用は理解の妨げに なるというものです.
しかし,数学を用いてもその物理的意味を教えることができるような 内容を,故意に感覚的な方法だけで教えるのは不合理だと考えます. 力学で用いる数学には必ず物理が内在しています. 伸び・縮みは感覚的な概念かもしれませんが,ひずみという物理量は その数学モデルです. 応力となるともっと厄介で,物体の抵抗力という非常に感覚的で 測定できない量を数学的に定義したものと考えられないでしょうか. この「感覚」と「数学」との関係を理解することも, 力学教育の目的のひとつです.「科学」とは「予測」する ことで,設計は予測に基づく大切な作業です.科学にはモデルが 必要で,モデルは感覚ではありません.数学を積極的に使わない講義や 教科書は理解を助けるどころか困難にしている可能性もあります.
こういった観点から,現状の大学教育への疑問も出され,また, 教育内容についての教養課程との 適切な相互乗り入れはやはり積極的に行うべきだとの意見も出されました. 「教養課程で教えられるような数学は不要であり,もっと応用を 重視した数学だけでよい」といった内容の意見も時折耳にしますが, 力学は現象の理解に加えてモデル化による検証も不可欠である科学です から,数学の時間にも応用を教え,応用と思われる講義でも数学を 用いた方がいいところではそうすべきでしょう.
近年,土木工学科の学生レベルだけではなく,全体的に学生のレベルが 低下したとの指摘があります.しかし,これは社会機構にも原因がある, 一種の気質的なもので,自分のレベルに合った進路を無難に選択する 方法が広く流行していることに依るものと考えられます.つまり本当の 能力の現われではないようです.
学生のレベルに合わせた教育は学生のレベルをさらに下げる役割を 演じる恐れがあります. 数学が苦手の学生も,能力が無いのではなく使い方を 知らない,あるいは興味が持てないだけの場合も多々あるわけです. フロアからのコメントに非常に興味深い表現がありました.それは, 大学の教育は education であるべきで instruction であってはならない, というものです.つまり,自分で自分を教える力を身に付けさせること が教育であり,道具の使い方の記憶ではとても教育が成功したとは言えない ということです.実社会で現実の問題に直面している人からも, 自分を独力で成長させる能力を身に付けるための教育が重要だという 同様の意見も出されました.
力学教育に魅力が無く単に解法の伝授に終始してしまうと,必修でもない 限り力学を履修しなくなります.またハード系の講座の人気凋落は,構造 工学分野の不活性につながらないとも限りません.一方で,人類が存続して いる限り社会基盤整備が必要です.この点を考慮すると,本当に豊かな 社会を創造するための人材確保には,大学での力学教育を魅力あるものに していく必要があることが解ります.
現象という事実をモデル化して法則という真実の構築し,それに基づいて 予測をする現場の設計.このように事実と真実とを美しく関連付けた 典型として「構造力学」を位置付けることは容易です.現実と理論との間で バランスの取れた内容を,構造物というひとつの対象に限定して教育できる 学問は他にありません.数学の使い方は,会場での議論にもあった ように工夫次第で対処できることではないでしょうか.それを避ける 理由はもはやありません.
また昨今,大学組織自体が急激に変化してきています.このような状況で 土木工学科が育成しなければならないのは,構造技術者だけではなく 土木技術者です.この点を理解した上で古い形から脱皮していく変革が 急務であり,社会の要請を考慮した時,今後の土木の変遷の方向は 基礎の理解に基づく技術者自力による問題解決能力の育成ではない だろうか,という意見も出されました.
近年,実務に携わる土木技術者から,いわゆるリフレッシュ教育で 応力等の概念を再教育して欲しいとの要望があるようです. これまで軽視されがちであった「連続体の力学」にもう少し 重点を移す必要があるのかもしれません.つまり,より広範な 内容が求められていながら,カリキュラムには余裕が無い状態に なっています.この変革のためには,従来の内容の思い切った取捨選択と, 数学等を用いた不要部分の整理等が必要と考えます.
この研究討論会のテーマは,答えがひとつにまとまるといった性質のもの ではなく,そういった面も考慮してこの会ではフロアとの討論を 重視してみました. そのため話題提供を,京都大学の田村武先生と 東京電機大学の井浦雅司先生だけに限定し,持ち時間の大半を討論の 時間に当てました. お陰様で多くの異なる意見が大学教官・学生や現場の技術者を含む 立場から披露されました. ここに,討論に参加してくださった皆様への感謝の意を表したいと思います. またアンケートを会期後にも郵送でお寄せいただきました.
この報告の頁には話題提供と討論との実際の内容の概要を載せましたが, 討論の節に示した意見のいくつかは,本研究討論会後の委員会に おいて出された議論も含めてあります. 順番も会場での進行と同じではありませんが,いただいたご意見をできる だけ多く記しておくことに努めました結果,多少表現がくどくなって しまいました.
ここでの成果やアンケートのご意見等を ふまえて,さらに委員会で議論を続け,再度何等かの 方法で討論あるいは報告を出すように心掛ける積もりです.最後に,今回の 討論会の機会を与えてくださった構造工学委員会にも謝意を表します.
文責: 岩熊哲夫 (東北大学)